長岡市立科学博物館 Nagaoka Municipal Science Museum

休館日
毎月第1・第3月曜日
(祝日等の場合は翌日)
12/28〜翌年1/4
開館時間
AM 9:00 〜 PM 5:00
入館はPM 4:30まで
TEL
0258-32-0546
FAX
0258-36-7691

もっと知りたい! 長岡

遺跡発掘の記録

 長岡市内で発掘された遺跡について、その概要を紹介します。

馬高・三十稲場遺跡(うまたか・さんじゅういなば)

粘土採掘の穴

竪穴住居跡

縄文土器の出土状況

竪穴住居跡の発掘風景

竪穴住居跡の測量風景

竪穴住居跡の発掘風景

所 在 地 長岡市関原町1丁目字中原・遠藤
立  地 信濃川左岸の段丘上、標高約60m。
調査面積 約3,500㎡
時  代 縄文時代中期(馬高)・後期(三十稲場)、平安時代(三十稲場)
種  別 集落跡
調査成果  馬高・三十稲場遺跡は、「火焔土器」発祥の地として全国的に著名であり、国の史跡に指定されています(指定面積約61,000㎡)。長岡市では、遺跡環境整備事業の一環として、史跡整備に向けた基礎資料を得るための発掘調査を行いました。
馬高遺跡の調査:遺構には、竪穴住居跡、炉跡(地床炉、石組炉、複式炉)、土坑(貯蔵穴、墓坑)、ピット(柱穴、掘立柱柱穴等)、埋設土器などが見られます。遺物は、火焔型土器や王冠型土器を含む縄文時代中期の土器が多数出土し、各種石器(石鏃、石錐、石匙、打製石斧、磨製石斧、石皿、磨石類など)、土製品(土偶、三角形土版、耳飾り)、石製品(大珠、石棒)、炭化種子なども発見されました。
 遺物や遺構の分布は、遺跡北部~中央部で大規模な馬蹄形状、遺跡南部では小規模な馬蹄形状の広がりを示すようです。前者は縄文時代中期前葉~中葉、後者は中期後葉の土器が多く認められます。中央部の竪穴住居跡は、楕円形・長方形・円形の平面形態が認められます。その炉跡には地床炉と石組炉があり、地床炉をもつ方が時期的に古い傾向を示しています。また、遺跡の南側には平面楕円形の土坑がまとまって分布し、形状や規模から墓坑と考えられます。そのうちの1基から滑石製大珠2点と琥珀製?大珠1点の計3点が出土し、その周辺から発見された縦穿孔の硬玉製大珠1点とともに注目されます。
三十稲場遺跡の調査:竪穴住居跡、炉跡(石組炉、地床炉)、土坑(貯蔵穴)、ピット(柱穴等)、掘立柱建物柱穴、埋設土器、大形土坑状遺構などが見つかっています。出土した遺物は、縄文時代後期の土器が最も多く、平安時代の須恵器や土師器も発見されました。また、各種石器(石鏃、石錐、打製石斧、磨製石斧、板状石器、石錘、石皿、磨石類など)、土製品(土偶、土製円板)、石製品(玉類、石棒)も出土しています。特に石鏃と石錘が多いのが特徴です。
 遺跡の北側は縄文時代中期終末~後期前半の土器が、また南側には後期後半の土器が多いようです。縄文時代の竪穴住居跡や貯蔵穴などの遺構群は、東側の沢に向いた馬蹄形状に展開する様子が推測されます。確認された竪穴住居跡は、直径約3.2mの円形で地床炉をもっていました。また、遺跡の北東部には多量の土器が堆積する地点があり、土器捨て場の可能性が考えられます。遺構のなかで特筆されるのは、遺跡の南側で発掘された大形土坑状遺構です。その平面形は不整な楕円形状で、長軸6m・短軸4m・深さ2.6m以上の規模をもっていました。その形状や堆積状況などから土器づくり用の粘土を採掘した土坑の可能性が考えられます。一方、東側の沢沿いには平安時代(9世紀後半)の竪穴住居跡を含む遺構や遺物が出土し、小規模な集落跡が広がっていることも明らかになりました。

現在、馬高・三十稲場遺跡は史跡整備され、調査成果は隣接する馬高縄文館で展示しています。

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五斗田遺跡(ごとだ)

土器を破棄した穴

方形周溝状遺構(館跡?)

所 在 地 長岡市亀崎町字五斗田
立  地 信濃川右岸の沖積地、標高約20m。
調査面積 5,400㎡
時  代 弥生時代後期~古墳時代前期(3世紀後半~4世紀前半)
種  別 集落跡
遺  構 方形周溝状遺構、掘立柱建物跡、土器溜りなど
遺  物 弥生土器、土師器、ナツメ玉、管玉、石鏃など
遺跡の特色  遺構のなかで注目されるのは方形周溝状遺構です。15m四方の高まりの周囲に幅2~5mの溝が巡っているもので、管玉や土器の破片が周溝から大量に出土しました。この遺構は、墳墓や祭祀に関係する施設、あるいは首長などの特別な人物の館跡の可能性があります。また、方形周溝状遺構の西側では立木根が発見されています。同時期のものであれば、屋敷林の可能性も指摘され、自然環境を含めた当時の集落の様子が推測されます。
 なお、五斗田遺跡が位置する山本地区には、弥生時代後期の遺跡である環濠集落跡の横山遺跡や、方形台状墓の築かれた藤ヶ森遺跡が位置しています。このころは、卑弥呼の邪馬台国の時代にあたり、各地で巨大な古墳が造営されるようになります。日本が統一に向かう情勢を長岡の地でも窺うことができます。

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瓜割遺跡(うりわり)

瓜割遺跡の風景

旧石器時代の石器の石核

瓜割遺跡の発掘風景

所 在 地 長岡市五反田町字瓜割
立  地 信濃川左岸の河岸段丘、標高約33m。
調査面積 330㎡
時  代 旧石器時代終末、縄文時代中期、平安時代
種  別 集落跡
遺  構 縄文時代中期の竪穴住居跡1軒、貯蔵穴1基など
遺  物 旧石器時代:細石刃石核原形
縄文時代中期:縄文土器、打製石斧、磨製石斧
平安時代:須恵器
遺跡の特色  細石刃とは細かい石の刃を組み合わせて槍やナイフとする道具で、旧石器時代終末(約1万4000~3000年前)に特徴的な石器です。発見されたのは、その細石刃を剥ぎ取る前の段階(石核原形)の貴重な資料です。これまで長岡市内では、旧石器時代の遺物はわずか数点の採集品に限られていましたが、瓜割遺跡ではじめて発掘調査で出土しました。
 本遺跡は馬高遺跡から北側に位置する遺跡で、近くには三ノ輪遺跡があります。三ノ輪遺跡からも火焔土器がつくられたころの竪穴住居跡1軒が発見されています。ともに地域の拠点的な集落である馬高遺跡を取り巻く小さい集落跡の一つとみられ、当時の集落のあり方を考える上で貴重な事例となりました。

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長岡市立科学博物館 Nagaoka Municipal Science Museum
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