長岡市立科学博物館 Nagaoka Municipal Science Museum

休館日
毎月第1・第3月曜日
(祝日等の場合は翌日)
12/28〜翌年1/4
開館時間
AM 9:00 〜 PM 5:00
入館はPM 4:30まで
TEL
0258-32-0546
FAX
0258-36-7691

殿様の部屋

長岡藩主の花押(かおう)を探る

~10代藩主忠雅(ただまさ)公の花押を事例に~

牧野忠雅老中奉書

 平成24年9月30日~10月8日に開かれた特別展「第2回長岡藩主牧野家の至宝展」は、「藩主のサイン」がテーマでした。歴代長岡藩主の花押(サイン)が押された文書が中心に展示され、それらを通して様々な側面から長岡藩主のご活躍を探ることができる絶好の機会となりました。展示品の中には、新潟県立歴史博物館が所蔵する10代藩主忠雅公の花押(手書ではなく「花押印」というハンコで押されたもの)のある文書もありました。忠雅公は幕府の要職を歴任し、天保5年(1834)に奏者番、同7年に寺社奉行、同11年に京都所司代、同14年には最高職である老中に昇進しました。展示文書は、12代将軍家慶(いえよし)が徳川家菩提寺の増上寺に参詣したことを気遣った三河国(愛知県)刈谷藩主土井淡路守利祐に対し、忠雅公が老中の立場で返礼した内容のものです。このような文書を老中奉書といい、天保14年(1843)~弘化3年(1846)頃に出されたと考えられます。老中として将軍と全国の諸大名を取り継ぐ忠雅公の仕事ぶりの一端を垣間見ることができます。
 ところで、天保8年(1837)に徳川家慶が12代将軍となったことに伴い、同10年3月5日付で幕府から全国の諸大名に、所領を保証する領知朱印状とその詳細別紙である領知目録が出されました。当時、寺社奉行であった忠雅公は、この領知目録を出す担当者のひとりでした。そこに見られる忠雅公の花押を前述した老中奉書の花押と比較してみると、デザインは同じですがサイズが若干小さいものになっています。これは忠雅公が複数の花押印を所持し、自らの立場や押印する文書によって使い分けをしていた可能性を示しています。なお、三根山藩牧野家には11代忠泰(ただひろ)公の大小複数の花押印が伝わっており、やはり文書の内容によって花押を使い分けていたと考えられます。
 残念なことに長岡藩主の花押印そのものは伝わっていません。しかし、長岡藩主のなかでも9代忠精(ただきよ)公・10代忠雅公・11代忠恭(ただゆき)公は、奏者番・寺社奉行・京都所司代・老中という幕府の要職を歴任したため、全国の大名家宛てに多数の文書を出しています。今後、そこに押される花押の研究を通して、長岡藩主のご活躍の新たな一面が明らかになればと期待しております。

渡部浩二(新潟県立歴史博物館主任研究員)

長岡市立科学博物館 Nagaoka Municipal Science Museum
〒940-0084 新潟県長岡市幸町2-1-1