考古研究室

 考古研究室は昭和26年の博物館開館当初から設置されています。現在は小熊博史が担当しています。ここでは研究室の紹介を兼ねて、平成12年度の主な活動を振り返ってみたいと思います。

普及活動
 5・6月に「縄文土器をつくる会」、7月に「縄文時代の石器をつくる会」を実施しました(「おもな行事」参照)。これは一般市民を対象に毎年行っている行事で、土器づくりや石器づくりを通じて、縄文文化を体験的に学ぶことを目的としています。また、5月〜10月の間、当博物館全体で実施している「少年少女青空科学教室」で、「ふるさと歴史発見コース」も担当しました。

調査研究
 当博物館所蔵の室谷洞窟出土品(縄文草創期〜前期)の整理作業を行いました。平成12年6月に国重要文化財に指定された小瀬ヶ沢洞窟出土品(縄文草創期)に引き続いて、室谷洞窟出土品も重要文化財の指定候補となったため、その選定の準備を進めました。文化庁・県教育委員会の指導を受けながら、最終的には縄文土器・石器類・骨器類1,402点の出土品が選び出され、平成12年12月4日に指定を受けました。

発掘調査
 平成12年6月から11月にかけて、関原町の史跡「馬高・三十稲場遺跡」で実施した発掘調査を担当しました。これは史跡整備の基礎資料を得るための発掘調査です。約半年間の長期にわたる調査であり、平成12年度の活動のなかでは最も力を入れました。その成果については、「長岡の文化財」にある「最近発掘された遺跡」のページを参照ください。現在、出土品の整理作業や調査研究を進めています。

◆考古研究室フィールド・ノート−平成12年度馬高・三十稲場遺跡の発掘から−

 昨年夏の猛暑は、発掘現場ではかなりこたえました。特に7月後半ころが一番たんへんだったような気がします。その暑さにもめげず、多くの作業員の方々から尽力いただきました。その馬高・三十稲場遺跡の発掘で、私自身が印象に残った墓穴と玉類の発見について記してみたいと思います。
 馬高で大珠を発見 7月後半から馬高遺跡の発掘を始めたのですが、8月初めのある暑い日、作業員のKさんが遺跡南側の地点から滑石製の大珠1点(長さ約5.6cm)を発見しました。大珠の類はふつう一つの遺跡から数点しか出土しない貴重品で、村のリーダー的な人物が身につけていたとも考えられ、墓穴から発見される場合もあります。発見直後、その周囲をよく観察しましたが、穴があるようにはみえませんでした。「堆積の状況もあまりよくないし、しょうがないな」と思って、その付近の精査はあきらめかけていました。
 現れた穴の形 ところが、8月も後半を過ぎて時々雨が降るようになったある日、その地点をふとみると、大珠が発見された場所に長さ1.5mほどの楕円形状のシミがおぼろげながら現れているではありませんか。雨水のしみ込み具合によって、楕円形状の部分が周囲の土の色と、わずかにですが違ってみえるのです。すかさずその部分に線を引いてみると、その他にも楕円形の穴がいくつかあることがわかってきました。
 墓穴の内部を掘る 8月末に、まず大珠が発見された穴の隣に位置する穴を掘ってみると、土器1個体が逆さまに埋められていました。このような埋め方をするのは墓に違いありません。たぶん埋葬する際に死者の頭にかぶせたものでしょう。それではと、最初に大珠が発見された穴内部の半分を発掘してみましたが、何も出土せず、少しがっかりしました。大珠の類は墓穴に一つしか副葬されない場合もあるのです。その時は「さすがにこれ以上は出てこないのだろう」と思いました。
 琥珀製玉の発見 10月に入って現場での作業も終盤にかかり、最初に大珠が発見された穴の残り半分を掘り上げることにしました。掘り始めてしばらくして、赤味かがった小さなかたまりが出てきました。泥を洗い流してみると、長さ約3.5cmの精巧につくられた琥珀(こはく)の垂玉(たれだま)であることがわかりました。思わず掘り出した作業員Iさんと握手。琥珀の玉は県内では極めて珍しいものです。その周囲を掘り進めると、さらに瑪瑙(めのう)製とみられる大珠も出土しました。結局、一つの墓穴から合わせて3個の玉が発見されたのです。この墓には相当の人物が葬られていたのでしょう。
 これまで、馬高遺跡は玉類の豊富な三十稲場遺跡に比べ玉類がほとんど見つかっていませんでした。今回の発見で、馬高はやはり相当な力をもった集落であるとの認識を新たにした次第です。あの雨上がりの日に気が付かなければ、墓穴の存在を見落としていたかもしれません。天候などの状況に応じて、現場をよく観察する必要性を痛感しました。


墓穴から出土した琥珀製玉

馬高遺跡から発見された玉類
(右3点は墓穴から、左1点は他の穴から出土)

 

 

戻る